自分を追い詰める非合理的な考え方

スクールソーシャルワーカーだより スクールソーシャルワーカーだより

2011年11月号

今回は、多くの人が陥りがちな、自分で自分を追い詰める非合理的なbelief(考え)を紹介します。

非合理的な考え

前回、感情を生み出すのは他人の言動や出来事ではなくて、それをどう解釈し、意味づけるかという、こちらの受け取り方、考え方だということを申し上げました(アルバート・エリスのABC理論を紹介しましたね?)。

頭に来るような受け取り方をすれば、怒りがわき上がってくるし、自分が惨めになるような受け取り方をすれば、悲しくなるということです。

では、非合理的な考え方にはたとえばどのようなものがあるのでしょうか。

自分に関する、非合理的な考え

  • 私はどんなことがあっても、絶対に立派にやらなければならない。そうでなければどうしようもない人間だということだ。
  • 私は、私にとって重要な人々から、絶対にいい評価を受けなければならない。そうでなければ、存在価値のない人間だということだ。
  • 私は何度も同じ失敗や過ちを犯してはならない。もし、繰り返して失敗すれば、恐ろしいことになってしまうだろう。
  • 私は他の人にいい印象を強く与えなければ、幸せになることができない。
  • 私の幸せは、他の人が私のことをどう考えるかによって左右される。
  • 私は、人に非難されたから、全くダメ人間である。
  • 私はいつもいい気分でいなければならない。

こういう考え方をしていると、自分を責め、不安・憂鬱・絶望などを感じて苦しむことになります。

他人や世界に関する、非合理的な考え

  • 人は、どんな状況においても、私を公平に、正当に、親切に、思慮深く扱うべきだ。もしそうでなければ、その人はどうしようもない人間だということであり、罰を受けて苦しむべきである。
  • 人は、私の依頼に対して、すぐに、喜んで対応すべきである。
  • 人は、たとえ私がはっきりと願いを口にしなくても、それを察知し、率先してその願いに応えるべきである。
  • 誰も、私に欲求不満を与えてはならない。
  • 私の人生では、私の望むものが、私が望む時に与えられるはずだ。
  • 状況は、常に私に有利に働くべきである。
  • 努力は、いつでも100%報いられるはずである。

たいていの場合、人や世界はこちらの思い通りには動いてくれません。そうすると、怒り・イライラ・自己憐憫などを感じて苦しむことになります。

非合理な考えの特徴

それは、「極端な決めつけ」と「べき思考」です。よく考えればそんなことは言えないはずなのに、「絶対こうであるべきだ」と決めつけ、「そうでなければ大変なことだ」(たとえば、人間として最低だ、など)と決めつけています。そして、そうではない自分や他人や世界を責めるのです。

私などは、「人は、たとえ私がはっきりと願いを口にしなくても、それを察知し、率先してその願いに応えるべきである」などと考えて、他の人に対してイライラしてしまうことがありました。

では、そう思っている私自身はどうでしょう。「あなたは他の人に対してこのようにしているのか」と尋ねられたら、とてもできているとは言えません。むしろ、「ちゃんと言葉で説明してくれなきゃ分からないし、こちらにも都合があるから、いつでも相手の思い通りになんか動けないよ」と思っていたりするのです。まさに「非合理的」ですね。

決めつけをやめてみよう

ですから、「~すべきだ」と勝手に決めつけないで、「~できるに越したことはない」「~だったらいいなあ」というふうに、もう少しマイルドな考え方に切り替えてみましょう。そうしたら、自分や他人への怒りが少し収まってきます。

最近、自分や他人や世界を責めて、落ち込んだりイライラしたりキレてしまったりしたことがありませんでしたか? その気持ちの背後には、どんな極端な決めつけやべき思考が隠れていたでしょうか。それに気づくだけでも、自分や他人に対する怒りは収まってくるものです。

次回も、感情のコントロールに有益な方法をお伝えします。

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