2014年10月号
いじめというものは、子どもの世界であれ、大人の世界であれ、卑劣な行為です。子どもたちの場合、いじめる側は軽い気持ちで行なうことが多いのかも知れません。しかし、被害者は心に大きな傷を負い、将来的に対人関係に問題を抱えたり、積極的に行動できなくなったりすることもあります。ですから、いじめは決して行なってはならないし、行なわせてはなりません。
一方で、私たちの大切な子どもたちには、多少のいじめには屈することのない精神的な強さも養ってもらいたいと思います
- もちろん「多少のいじめ」を正当化するつもりはありません。
精神的な強さ
「精神的な強さ」には様々な要素がありますが、今回はその一つである「自信」についてお話しさせていただきましょう。次の3人の方の例をお読みください。
コオロギの声が聞こえる
東北出身の青年Aくんが、東京に就職しました。そして、東京出身の友だちと二人で新宿の繁華街を歩いていました。ふとAくんが立ち止まり、「コオロギの声が聞こえる」と言いました。友だちは笑いました。「こんな都会の真ん中にコオロギなんていないよ。いたとしても、この雑踏の中、うるさくて聞こえやしないよ」。
でも、Aくんは、確かに聞こえると言います。そして、友だちを歩道の脇に引っ張っていきました。友だちがのぞき込むと、コンクリートを突き破って草が生えており、確かにそこにコオロギがいたのです。
「すごいね。この喧噪の中で、よくこの声が聞こえたねぇ」と友だちが感心しますと、Aくんは言いました。「人にはね、聞きたい音が聞こえるんだよ」。そして、ポケットから五百円玉を取り出すと、歩道にチャリーンと落としました。すると、付近を歩いていた数十人が一斉に振り向きましたとさ。
みんなが私をバカにする
人は聞きたいものを聞きます。
Bさんは「みんなが私をバカにするんです」と言いました。それは事実かも知れませんが、もしかしたらBさん自身、みんなが自分をどう評価するかということを必要以上に気にして生きておられるのかもしれません。そして他人が自分をバカにする前に、自分で自分をバカにしているのかも。だから、他の人が自分をバカにするような発言をしたとき、「ほらやっぱり!」と、受け入れてしまうのです。
本当に自信がある人は、精神的に強く、他人から多少引き下げられるようなことを言われても、それが自分をバカにして言ったことだとは思いもしません。ですから傷つきもしません。
嫌みな同僚
Cさんは、看護師として一生懸命に働いてこられた30代半ばの女性です。あるとき、Cさんの病棟に若いDさんが転属してきました。ちょっと嫌みなところのある人で、前の病棟で同僚たちとうまくいかなくなってこちらに移ってきたという噂でした。そして、さっそくCさんがターゲットになったのでした。
Dさんは、Cさんが独身だと知ると、「どうして結婚しないの?」「恋人いないの?」「積極的に合コンに参加しないと」などと、セクハラ発言を繰り返します(同性でもセクハラと見なされます)。
すると、Cさん、怒ったり泣いたりしないで、「ありがとう。私のこと気に掛けてくれて」と、にっこり笑ってお礼を言いました。ところが、敵もさる者ひっかく者。「あら、嫌みなのに」とすまして答えます。
しかし、Cさんはそれでもキレません。「嫌みだなんて言って、照れなくていいわ。全然、そんなふうに聞こえないよ。だって、Dさんって優しい人だもの」。
すると、Dさん、ぽろぽろと涙を流し始めました。「私に優しいなんて言ってくれる人、今までいなかった」。それからDさんはすっかりとげとげしいところが取れ、それどころかCさんの腹心の友となりました。
自信を育てるには
他の人にどんなにけなされても引き下げられても、全く気にしないどころかかえって相手を引き上げてファンに変えてしまう。そんな自信はどうしたら育てられるのでしょうか。それは「精神的に強くなれ」と説教されることによってではなく、ほめられたり、認められたり、感謝されたりすることによってです。
特に感謝は強烈な自信の種になります。普段からたくさん「ありがとう」が飛び交っている家庭の子どもたちは、例外なく自信に満ち、精神的な強さを持っています。意識して(すなわち探してでも)、お子さんに「ありがとう」をいっぱい伝えましょう。
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